関東関根組の現在と組織図|歴代組長や松葉会との関係を徹底解説
茨城県土浦市に総本部を構え、国家公安委員会から指定暴力団として指定されている「関東関根組」。戦後ヤクザ史の源流とも言える名門「関根組」の看板を掲げ、北関東を中心に独自の勢力圏を保っています。
巨大組織である松葉会との分裂劇から再独立、そして指定暴力団への単独指定へと至った背景には、どのような歴史と人間模様があったのでしょうか。歴代組長の系譜から最新の組織図、幹部体制、松葉会との現在の関係性に至るまで、警察白書のデータや取材記録をもとにその実態を紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:関東関根組は茨城県土浦市に本拠を置き、2018年に全国23番目の指定暴力団に指定された独立組織。
- 要点2:戦後の浅草を支配した「関根組」を源流とし、松葉会の内部対立を経て独立・名跡復興を果たした経緯を持つ。
- 要点3:かつて鋭く対立した松葉会とは和解が成立しており、現在は北関東を地盤に二代目・安藤興一組長のもとで体制を維持している。
【組織概要】茨城県土浦市に本部を置く関東関根組の現在と指定暴力団の指定経緯

関東関根組は、茨城県土浦市桜町に総本部を構える指定暴力団です。茨城県公安委員会により2018年(平成30年)4月、暴力団対策法に基づく指定暴力団として指定されました。
土浦市の歓楽街・桜町に位置する本部事務所は、同組織の強固な拠点として知られていますが、近年は警察当局による暴排条例の適用や使用差し止め請求など、強い法的規制に直面しています。勢力範囲は茨城県内を中心に、栃木県、千葉県、福島県、東京都など関東甲信越から南東北エリアの一部に広がっています。
警察庁が公表している統計によると、現在の構成員数は約80〜100名規模(準構成員を含めると約150名規模)と推計されており、決して巨大組織ではないものの、北関東における強固な結束力と武闘派としての存在感は広く知られています。
【歴史と沿革】戦後最大の愚連隊「関根組」から松葉会、そして独立への激動譜

関東関根組のルーツを辿ると、終戦直後の混乱期に東京・浅草や墨田区周辺を牛耳った伝説的愚連隊「関根組」に行き着きます。組長を務めた関根賢は、数千人の配下を抱え、銀座や浅草の闇市を制圧して戦後アンダーグラウンドの頂点に君臨した人物でした。
GHQによる解散命令を受けて関根組は一度解散を余儀なくされましたが、その幹部や構成員が結集して1953年に結成されたのが「松葉会」です。つまり、歴史的に見れば松葉会の母体こそが関根組でした。
松葉会の傘下組織として茨城方面で絶大な勢力を誇っていた「関根一門」でしたが、2014年頃、松葉会内部で跡目争いや主導権を巡る激しい路線対立が勃発します。当時の執行部と対立した茨城勢力(大内組を中心とするグループ)が松葉会を離脱し、自らの原点である「関根組」の名跡を復活させ、のちに「関東関根組」として再出発を果たしました。
【歴代組長の系譜】初代・関根賢から大内秀次、二代目・安藤興一への継承

関東関根組の首領の系譜は、歴史的始祖と現代の組織トップで明確に受け継がれています。
初代とされる関根賢は、博徒やテキヤの枠を超えた戦後アウトローの象徴であり、そのカリスマ性は現代の組員にとっても絶対的な象徴です。
松葉会から離脱して現代の関東関根組を立ち上げ、初代組長に就任したのが大内秀次(大内組組長)でした。大内組長は茨城の裏社会で絶大な影響力を誇り、組織の独立と基盤強化を推し進めましたが、2019年に病気療養の末に逝去しました。
大内組長の急逝を受けて組織を継承したのが、現在のトップである二代目組長・安藤興一(本名:羽成興一)です。安藤組長は組織の引き締めを図るとともに、対外的な関係改善に注力し、激動期の組織を安定化させる舵取りを担っています。
【最新組織図と幹部一覧】傘下団体の構成と現在の勢力体制
関東関根組は、二代目組長を中心としたピラミッド型の組織構造をとっており、茨城県内の主要都市に強固な支部・傘下団体を配置しています。
現在の執行部体制における主な役職と傘下団体は以下の通りです。
【主要幹部一覧】
・組長:安藤興一(羽成興一)
・若頭:組織運営の実務を取り仕切る中枢ポスト
・本部長:各地区の傘下組織の統括および規律管理を担当
・最高顧問・顧問・相談役:大内初代時代からの古参重鎮が就任
【主な傘下団体】
・羽成組(茨城県土浦市周辺を拠点とする直系主力組織)
・霞組(土浦・かすみがうら方面を地盤とする武闘派組織)
・三代目増田組(茨城・水戸や県北エリアで活動)
・沼尻組、阿部組などの地域密着型支部組織
各傘下団体は地元企業との関係遮断や警察の集中取り締まりにより活動の制限を受けているものの、地縁を活かした結束力を維持しています。
【複雑な関係性】松葉会との分裂劇から「親戚関係・和解」に至る深層
関東関根組を語る上で欠かせないのが、本家筋にあたる松葉会との関係性です。
2014年の離脱当初は、双方の事務所への発砲事件や車両特攻などが懸念され、警察当局も大規模な抗争勃発を警戒して厳戒態勢を敷いていました。一時は一触即発の緊張状態が続いていたものの、他団体(住吉会や稲川会などの関東主要組織)の仲介やトップ同士の対話により、大規模な全面衝突は回避されました。
その後、双方は段階的な歩み寄りを見せ、現在では「親睦・親戚関係」を結ぶ形で事実上の和解に至っています。互いのシマ(勢力範囲)を尊重し合い、慶弔行事での往来が確認されるなど、過去の遺恨を乗り越えた実務的な共存関係が築かれています。
【最新動向と警察の包囲網】暴排強化と北関東アンダーグラウンド情勢
現在の関東関根組を取り巻く環境は、年々厳しさを増しています。警察庁および茨城県警は、土浦市桜町の本部事務所周辺での街頭監視カメラ増設やパトロール強化を常時実施しています。
さらに、全国的な暴力団排除条例の厳格化に伴い、従来の主な資金源であった歓楽街の用心棒代や建設・産廃関連への関与は極めて困難になりました。近年では、組織の若手構成員が特殊詐欺や違法賭博、匿名・流動型犯罪グループ(トクリュウ)と接触する事例も散見され、警察当局は資金源の不法化・巧妙化に対する摘発を強めています。
構成員の高齢化と若手のなり手不足は関東関根組にとっても深刻な課題であり、いかに組織の規律と勢力を維持するかが問われています。
【関東関根組】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:関東関根組と松葉会は現在も対立しているのですか?
A1:離脱当初は激しい緊張関係にありましたが、現在は第三者組織の仲介などを経て和解が成立しており、親戚団体としての平和的な関係を構築しています。
Q2:なぜ土浦市に関東関根組の本部があるのですか?
A2:松葉会離脱の中心となった大内秀次初代組長の地盤が茨城県土浦市(大内組)にあり、その拠点をそのまま関東関根組の総本部として活用したためです。
Q3:関東関根組の現在の組員数はどのくらいですか?
A3:警察当局の推定によると、正規構成員は約80〜100名程度、準構成員等を含めても150名前後とみられており、北関東を拠点とする中規模の指定暴力団です。
まとめ:激動の北関東ヤクザ情勢と関東関根組の行方
戦後の浅草・関根組に端を発し、松葉会からの分裂独立、そして単独の指定暴力団への移行と、関東関根組は日本のヤクザ史における激動の縮図とも言える歩みを辿ってきました。
二代目・安藤興一組長体制のもとで組織の結束を固める一方、警察による徹底的な締め付けや資金源の枯渇、構成員の減少といった構造的課題は避けて通れません。北関東の裏社会情勢が大きく様変わりする中、伝統の名跡を背負う同組織が今後どのような針路をとるのか、当局による監視と動向の注視が続いています。 (出典: 関東 関根 組(Yahoo!ニュース))