【巨人】V9支えた名遊撃手・黒江透修の現在と名参謀の知られざる伝説
プロ野球史において不滅の金字塔とされる読売ジャイアンツの「V9」黄金期。王貞治氏や長嶋茂雄氏といったスーパースターが眩い光を放つグラウンドで、いぶし銀の守備と卓越した戦術眼で内野陣を統率し続けた職人が黒江透修(くろえ ゆきのぶ)氏です。
現役引退後は読売ジャイアンツのみならず、中日ドラゴンズや西武ライオンズなど複数球団で「名参謀」として辣腕を振るい、数々のリーグ優勝や日本一に貢献しました。本記事では、ファンが気になる黒江透修氏の現在の様子をはじめ、現役時代の伝説的プレー、名将たちを支えたコーチ時代の手腕、そしてトレードマークにまつわる秘話を徹底解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:黒江透修氏は現在も球界OBとして敬愛を集め、V9時代の貴重な野球理論を後世に伝えるレジェンドとして穏やかな日々を送っている。
- 要点2:現役時代は背番号「57」を背負い、川上巨人の不動のショートとしてベストナイン獲得やV9全期間の屋台骨を担った。
- 要点3:指導者としては星野仙一監督や東尾修監督の右腕として手腕を発揮し、トレードマークの口ひげと共に「優勝請負人」として球史に名を刻んだ。
【2026年最新】黒江透修の現在と近況|球界のレジェンドが語る野球観

読売ジャイアンツのV9戦士として一世を風靡した黒江透修氏の現在について、多くのオールドファンやプロ野球ファンが関心を寄せています。1938年(昭和13年)12月生まれの黒江氏は、80代後半を迎えた現在も球界屈指の知性派OBとして高いリスペクトを受けています。
近年は現場の第一線や頻繁なメディア出演からは距離を置き、体調に配慮しながら静かで穏やかな生活を送っています。それでも節目のOBイベントや野球談義の場では、かつての鋭い観察眼そのままに現代プロ野球の守備走塁やチームマネジメントについて深みのあるコメントを残しており、その健在ぶりは球界関係者を大いに喜ばせています。
勝つことが絶対条件だった「川上巨人」の過酷なプレッシャーを最前線で戦い抜いた経験は、時代が移り変わった今なお指導者論や組織論の教科書として色褪せることがありません。黒江氏の近況は、球界の黄金期を知る生き証人として後進たちに静かな勇気を与え続けています。
読売ジャイアンツV9黄金期を支えた「職人」黒江透修の経歴と通算成績

黒江透修氏の球歴は、決してエリート街道ばかりではありませんでした。鹿児島県立姶良高校から社会人野球の立正佼成会を経て、1964年に読売ジャイアンツへ入団。社会人時代から培った堅実な守備と勝負強い打撃が高く評価され、プロの世界へと飛び込みました。
入団後すぐに頭角を現し、名手・広岡達朗氏の後を継ぐ形で巨人の正遊撃手に定着。川上哲治監督が掲げた「緻密な管理野球・スモールボール」をグラウンド上で具現化する中心選手として、1965年から1973年までの前人未到のV9全シーズンを主力として支え抜きました。
現役通算成績を振り返ると、派手なホームランバッターではなかったものの、勝負所での進塁打やスクイズ、相手の隙を突く走塁など、数字以上の貢献度が際立っていました。
【黒江透修氏のNPB通算成績】
・出場試合数:1,134試合
・通算安打数:923安打
・通算本塁打:57本
・通算打点:347打点
・通算打率:.254
・獲得タイトル:ベストナイン(1968年・遊撃手部門)
1968年には打率.284、12本塁打、62打点という自己最高の好成績をマークし、セ・リーグの遊撃手ベストナインを受賞。守備位置の指示や投手の配球を読む能力に長けており、川上監督が最も信頼を寄せるグラウンド上の指揮官でした。
背番号「57」に刻まれた矜持と巨人歴代ショートにおける唯一無二の立ち位置

巨人の歴史の中で、主力遊撃手といえば1桁や10番台の若い背番号を付けるケースが通例でした。しかし、黒江透修氏の代名詞となったのは大きな背番号「57」です。
レギュラー定着後も番号を変更することなく、「57番のショート=名手・黒江」というブランドを確立させました。大きな番号を背負いながら華麗かつ確実に打球を処理する姿は、当時の子供たちやファンにとって職人肌の象徴として強く記憶に焼き付いています。
歴代の巨人ショート史を紐解くと、戦前の白石勝巳氏、V9初期の広岡達朗氏、その後の河埜和正氏、平成の川相昌弘氏や坂本勇人選手へと受け継がれる強固な系譜が存在します。その中でも黒江氏は、「王・長嶋」という球史最強の打線を陰から支え、守備からリズムを作って勝つ巨人の黄金パターンを確立したキーマンとして、歴代屈指の存在感を誇っています。
「川上巨人の申し子」から各球団の「名参謀」へ|黒江透修の輝かしいコーチ歴
1974年の現役引退後、黒江透修氏の真骨頂となったのが指導者としてのキャリアです。巨人のコーチを務めた後、その卓越した指導力と緻密な作戦立案能力を買われ、他球団から次々と招聘されることになります。
【主なコーチ歴・指導者歴】
・読売ジャイアンツ:内野守備・走塁コーチ(第1期長嶋政権下など)
・中日ドラゴンズ:ヘッドコーチ(星野仙一監督のもとで1988年リーグ優勝に貢献)
・福岡ダイエーホークス:助監督・チーフコーチ(王貞治監督の招聘によりチーム基盤を整備)
・西武ライオンズ:ヘッドコーチ(東尾修監督を支え、1997年・1998年のパ・リーグ連覇を達成。監督代行も経験)
・横浜ベイスターズ:ヘッドコーチ(森祇晶監督を支える)
特に中日時代の星野監督や、西武時代の東尾監督といった情熱的で勝負師タイプの指揮官のもとで、冷静沈着な「ヘッドコーチ・名参謀」としてチームの手綱を引いた手腕は絶賛されました。感情を前面に出す監督と選手の間を取り持ち、的確なデータ分析と戦術眼で勝利を手繰り寄せるスタイルは、まさに「優勝請負人」と呼ぶにふさわしい活躍でした。
トレードマークの「口ひげ」と闘将たちを支えた知られざるエピソード
黒江透修氏を語る上で欠かせないビジュアルのアイコンが、ダンディに整えられた「口ひげ」です。
読売ジャイアンツでは伝統的に選手の髭や長髪が厳しく制限されていたため、巨人を離れて他球団のユニフォームを着るようになってからトレードマークとして定着しました。スマートでダンディな風貌と、グラウンドで見せる厳しい眼光のギャップは、多くの野球ファンから親しまれました。
また、黒江氏の人柄を物語るエピソードとして有名なのが、選手へのきめ細やかな配慮と厳格な勝負哲学の両立です。中日のヘッドコーチ時代、感情を爆発させる星野仙一監督のフォロー役に回り、落ち込む若手選手を食事に連れ出しては「監督がお前を怒るのは期待している証拠だ」と諭してモチベーションを引き出しました。
一方でサインミスや怠慢プレーには誰よりも厳しく、川上巨人仕込みの「1点の重み」「守備の1歩目の重要性」を徹底的に叩き込みました。この温かさと厳しさを併せ持つ指導方針があったからこそ、どの球団に行っても選手たちから絶大な信頼を寄せられたのです。
【巨人 黒江】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:黒江透修の現在の年齢や体調はどうなっていますか?
A1:黒江透修氏は1938年12月生まれで、現在は80代後半を迎えています。現在は現場の最前線から離れ、体調を最優先にしながら穏やかな日々を過ごしています。球界の重要イベントやOBの集まりなどでは元気な姿を見せており、球界関係者やファンから敬意を集めています。
Q2:黒江透修が現役時代に背負っていた背番号は何番ですか?
A2:現役時代のトレードマークは「57」です。巨人のレギュラー内野手としては珍しい大きな背番号を引退まで背負い続け、職人肌の名手として親しまれました。指導者時代には「75」や「80」などを着用しています。
Q3:なぜ黒江透修は「名参謀」と呼ばれるのですか?
A3:V9巨人で培った勝つための野球理論(スモールベースボールや守備走塁の技術)を熟知しており、引退後は中日・西武・ダイエーなどでヘッドコーチを歴任したためです。特に星野仙一監督や東尾修監督の右腕としてリーグ優勝に大きく貢献したことから、球界随一の「名参謀」と称されています。
まとめ:V9の魂を受け継ぐ名手・黒江透修が日本プロ野球に残した偉大な足跡
黒江透修氏がプロ野球界に残した功績は、単なる数字の記録だけでは測れません。読売ジャイアンツのV9という不滅の栄光をグラウンドの要であるショートとして支え、引退後はその勝者のメンタリティと緻密な戦術を他球団へと伝承し、日本プロ野球全体のレベル向上に寄与しました。
背番号57を輝かせた華麗な守備、トレードマークの口ひげを蓄えて名将の隣で腕を組んだ知的な姿は、今なおファンの心に鮮明に生き続けています。球界の黄金期を築き上げた偉大なレジェンドの知恵と魂は、これからも語り継がれていくはずです。 (出典: 巨人 黒江(Yahoo!ニュース))