元小結・時天空の訃報から現在|37歳で散った足技の名手と闘病の真実
土俵際で見せる鮮やかな「蹴返し」や、鋭い眼光で相手の懐へ飛び込む変幻自在の取り口。大相撲の歴史において、これほどまでに観客を沸かせた技巧派力士がいたでしょうか。元小結・時天空(本名:時天空慶晃)が、37歳という若さで旅立ってから時が流れた現在も、彼が相撲界に残した強烈な足跡と生き様は色褪せることなく語り継がれています。
東京農業大学相撲部から時津風部屋へと進み、知的かつ変幻自在の相撲で三役まで上り詰めた時天空。しかし、その現役生活の終盤には「悪性リンパ腫」という過酷な病魔との壮絶な闘いが待ち受けていました。本稿では、突然の訃報から現在に至るまでの経緯、過酷を極めた闘病生活の真相、日本国籍取得と指導者への夢、そして遺された家族の歩みについて徹底解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:元小結・時天空は2017年1月、悪性リンパ腫により37歳の若さで逝去。壮絶な抗がん剤治療を受けながらも最後まで土俵への復帰と後進育成に情熱を燃やし続けた。
- 要点2:代名詞「蹴返し」をはじめとする華麗な足技で幕内通算548勝を記録。東京農業大学出身の知性派力士として大相撲史に独自の地位を築いた。
- 要点3:日本国籍を取得して年寄「間垣」を襲名。志半ばで旅立ったものの、その不屈の闘志と美学は時津風部屋の後輩や多くの相撲ファンに今なお深く刻まれている。
【訃報から現在】元小結・時天空が37歳で駆け抜けた闘病生活と死因の真相

時天空に異変が生じたのは、土俵上で充実した相撲を見せていた2015年秋場所のことでした。激しい右脇腹の痛みを訴えて途中休場を余儀なくされ、その後の精密検査で下された診断は「悪性リンパ腫」。血液のがんという受け止めがたい現実でした。
医師から告げられた過酷な宣告に対しても、時天空は決して取り乱すことなく前を向きました。すぐに都内の病院に入院し、強力な抗がん剤治療と無菌室での過酷な生活がスタートします。副作用による激しい吐き気、高熱、脱毛に苦しみながらも、彼は病室でチューブにつながれたまま筋力トレーニングを継続していました。「もう一度まわしを締めて土俵に戻る」「髪が伸びたら髷を結い直す」という執念が、彼を支え続けていたのです。
しかし、病状は一進一退を繰り返し、現役復帰の道は次第に閉ざされていきました。2016年8月、時天空は断腸の思いで現役引退を決断。年寄「間垣」を襲名し、時津風部屋付きの親方として後進の指導に専念しながら治療を続ける道を選びました。
懸命な闘病生活も虚しく、2017年1月31日早朝、東京都内の病院で静かに息を引き取りました。37歳というあまりにも早すぎる死因となった悪性リンパ腫との闘いは、約1年5カ月に及ぶ過酷なものでした。訃報が流れた瞬間、角界のみならず日本全国、そして故郷モンゴルに大きな悲痛の輪が広がりました。
【土俵を彩った至高の技】代名詞「蹴返し」と大相撲史に刻まれた経歴・成績

時天空という力士の真骨頂は、何と言っても観客を唸らせる卓越した技量にありました。モンゴル・トゥブ県出身の彼は、学生相撲の名門・東京農業大学農学部に留学。相撲部で主将を務めるなど実績を積み、卒業後の2002年7月場所に時津風部屋から初土俵を踏みました。
大学相撲で培った論理的な相撲感覚と、モンゴル相撲仕込みの柔軟な身のこなしが融合した取り口は唯一無二でした。得意手は右四つ・寄り・投げに加え、大相撲界屈指と評された「足技」です。なかでも相手が前に踏み出そうとする足のくるぶしを、自らの足裏で内側から払うように蹴って倒す「蹴返し」は、時天空の代名詞として恐れられました。
平成以降の大相撲において、蹴返しをこれほど高い頻度かつ芸術的なタイミングで決めた力士は他にいません。相手の重心を瞬時に見極める動体視力と体幹の強さがあったからこそ成し得た神技でした。
最高位は東小結(通算3場所在位)。幕内通算成績は548勝607敗15休、三賞は技能賞を3回受賞しています。数字以上の存在感を放ち、幕内の土俵を10年以上にわたって支え続けた名バイプレイヤーでした。
【日本国籍の取得と間垣親方襲名】角界に骨を埋める覚悟と指導者としての夢

外国出身力士が引退後に日本相撲協会に親方として残るためには、日本国籍の取得が必須条件となります。時天空は現役時代の2014年1月に帰化許可を受け、本名を「時天空 慶晃(ときてんくう よしあき)」へと改名しました。
この日本国籍取得は、単なる資格取得にとどまらず、彼が「日本の伝統文化である大相撲に一生を捧げる」という強い意志の表れでした。東京農業大学で日本語や日本文化を体系的に学んでいた彼は、角界のしきたりや礼節を重んじ、所作の美しさにも定評がありました。
引退後に襲名した年寄名跡「間垣」は、かつて横綱・二代目若乃花らが名乗った由緒ある名跡です。親方となった時天空は、「自分の持っている技術や相撲理論を若い力士たちにすべて伝えたい」「モンゴルと日本の架け橋となる礼儀正しい力士を育てたい」という熱いビジョンを描いていました。その夢が本格的な指導を始める前に断ち切られてしまったことは、大相撲界にとって計り知れない損失でした。
【家族の現在とプライベート】闘病を支えた妻・子供と故郷モンゴルへの思い
私生活において時天空は、土俵上の鋭い表情とは対照的に、非常に穏やかで家族思いな一面を持っていました。彼には日本で生活を共にした妻と子供がおり、過酷な闘病生活を最も近くで精神的・肉体的に支え続けたのがご家族でした。
時天空は生前、家族のプライバシーを大切にし、過度なメディア露出を控えていました。無菌室での入院中も、家族に弱音を吐くことはほとんどなく、「家族のためにも必ず病気に勝つ」と自らを鼓舞し続けていたといいます。
また、故郷モンゴルの実家には、元モンゴル相撲の強豪力士であった父親をはじめとする親族が暮らしていました。日本へ留学させてくれた両親への感謝の念は極めて強く、現役時代にはモンゴルの家族を支え続けました。現在、遺されたご家族は時天空の残した教えと温かい思い出を胸に、静かにそれぞれの生活を営んでいます。彼が遺した相撲への誇りは、今も家族の心の中に深く息づいています。
【角界の追悼とネットの反響】時津風部屋の後輩たちに受け継がれる「時天空の魂」
時天空が亡くなった直後、大相撲界には深い哀悼の意が広がりました。本場所でしのぎを削った同郷の横綱・白鵬(現・宮城野親方)や元横綱・朝青龍らは、早すぎる死に涙を流し、その無念さに言葉を詰まらせました。
特に所属していた時津風部屋の力士や関係者にとって、兄貴分として部屋を引っ張り、誰よりも稽古に厳しく自分に厳しかった時天空の存在は特別なものでした。現在も時津風部屋の稽古場には時天空の遺志が受け継がれており、後輩力士たちは彼の勝負に対する真摯な姿勢を模範として土俵に上がっています。
インターネット上やSNSでも、命日や技の特集が組まれるたびに多くの相撲ファンから追悼の声が寄せられます。
「時天空の蹴返しは本当に美しかった」
「病魔と闘う姿にどれだけ勇気をもらったか分からない」
「37歳はあまりにも若すぎる。もっと彼の指導する弟子が見たかった」
時が経過した現在でも、YouTubeなどの相撲アーカイブ動画では時天空の鮮やかな足技集が再生され続けており、往年の相撲ファンのみならず若い世代の相撲ファンからも高い評価を獲得しています。
【時天空】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:元小結・時天空の直接の死因となった病名は何ですか?
A1:死因は「悪性リンパ腫」です。2015年秋場所中に発症が判明し、約1年5カ月にわたる抗がん剤治療などの闘病生活を続けましたが、2017年1月31日に37歳で逝去されました。
Q2:時天空が得意としていた「蹴返し」とはどのような技ですか?
A2:相撲の決まり手の一つで、相手が前に踏み出そうとする足の足首やくるぶし付近を、自分の足の裏で内側から払うように蹴ってバランスを崩し倒す技です。タイミングと技術が極めて難しく、時天空はこの技の現代屈指の名手でした。
Q3:時天空が引退後に襲名した親方名(年寄名跡)は何ですか?
A3:年寄「間垣(まがき)」を襲名しました。現役引退後は間垣親方として時津風部屋で後進の指導にあたる予定でしたが、襲名からわずか約半年後にこの世を去ることとなりました。
Q4:時天空の出身大学と、角界入りした経緯を教えてください。
A4:東京農業大学農学部林学科(現・地域環境科学部森林総合科学科)の出身です。モンゴルからの留学生として同大学相撲部で活躍した後、2002年に時津風部屋に入門しました。
まとめ:足技の鬼才・時天空が残した永遠のメッセージ
37歳という短くも濃密な生涯を、全力で駆け抜けた元小結・時天空。彼が土俵の上で見せた変幻自在の足技と華麗な身のこなしは、大相撲の「技術の奥深さ」をファンに強烈に印象づけました。
病に侵されてもなお土俵を見つめ続け、決して諦めなかったその不屈の闘志は、今も多くの人々の胸を打ち続けています。相撲を心から愛し、日本という国に骨を埋める覚悟で生きた時天空慶晃という一人の偉大な力士の足跡は、これからも大相撲の歴史の中で眩い光を放ち続けるはずです。 (出典: 時 天空(Yahoo!ニュース))